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プロフィール
白瀧幹夫さん
しらたき みきお 1973年練馬区生まれ。白瀧呉服店の四代目・白瀧五良の子として生まれる。建築系の専門学校卒業後デザイン会社に就職し、ランドスケープデザイナーに。2003年に退職し、若旦那として家業に入る。練馬で好きな場所は、小さい頃遊んだ記憶のあるグラントハイツ。

白瀧あゆみさん
しらたき あゆみ 1977年、杉並区生まれ。幹夫さんと同じ専門学校の後輩。就職後、結婚を機に若女将に。着物の世界は知らなかったが、今や「着付けが楽しい!」というほど。練馬で好きなお店は、クリスティー豊島園店、ダ・アオキ・タッポスト。

白瀧呉服店

ねりま人キラリと光るねりま人にインタビュー

創業160年の老舗呉服店は
地域に根ざして日本文化を発信!


 呉服専門店「白瀧」の創業は、江戸末期の1853年。なんとペリー率いる黒船来航と同じ年から続く、東京で一番大きな呉服屋さんです。敷居が高そう!?ですが、実は地域密着型で、文化の発展にも貢献しているお店です。若旦那の白瀧幹夫さん、若女将のあゆみさんにお話を伺いました。

「練馬区観光協会で開催している『ねりまのねり歩き』の見学場所として、ご協力しています。着物に興味のない方もコースのひとつとして入店していただき、新鮮な驚きがあるようです」(若旦那)

「2015年9月には『第一回子供茶会』を開催し、伝統を楽しく伝える試みを始めました。子どもたちに馴染みやすいように、浴衣を着てお点前を披露し好評でした」(若女将)

 また、「白瀧文化教室」を約30年前から開催。着付け、茶道、華道などの習い事を通して、「少しでも着物にふれる機会をもってもらえたら、うれしい」と、日本文化の発信地としても地域に根ざしています。

 昔ながらの呉服屋が少なくなった今、福岡や北海道という遠方から来られるお客さんもいたり、なかには「おばあちゃんの形見の着物を着たくて」と仕立て直しの依頼もあったりするそうです。

「店が古いといっても、このあたりでは300〜400年続く旧家が多いので、160年くらいじゃまだまだ新参者ですよ(笑)」と、若旦那は謙虚な姿勢を崩しません。



「伝統を大切にしたい」から
事業を承継することを決意


 若いご夫妻が、家業を継ぐと決心されたことについて伺いました。

「実は子どもの頃から社会人になっても、着物に興味がなかったんです。建築関係の仕事につき、新興住宅のプロジェクトなど担っていました」(若旦那)

 その後、独立するか家業を継ぐか、岐路に立つ時期が訪れました。

「街というハードと、着物というソフト。表現は違うけれど、伝統を大切にしたいという部分では自分にもできることはあると、家を継ぐことに決めました。『呉服屋=左うちわ』のイメージもあったんですが、入ってみたらまったく違いましたけどね(笑)」(若旦那)

 若女将は専門学校の後輩で、同じように建築系のデザイナーでした。

「次の世代にいい環境を残したい、という思いから、公園などの景観デザインを手掛けていました。実は結婚が決まってから、彼の実家が老舗の呉服屋だと知りまして…。本当にビックリしました」(若女将)

 結婚の挨拶に訪れた際、社長から「結婚するなら店の手伝いを」と言われ、悩みに悩みんだそうです。

「着物も次世代に残すべきもの、という意味では私のやりたいことと同じなのかなと、納得しました。だけど着物とは縁遠い生活をしていたので、最初は生徒さんと一緒に着付を習うところからスタートしました」(若女将)

「今や着物はほとんどの場合、特別なハレの日に着るものです。だからこそ、着たい方のお手伝いは一生懸命やらせていただきます。その和服に対する期待を裏切らないように、お店に入ってから出ていくまでが特別な時間になるように、心がけています」(若旦那)

「代々続いてきたこの地で働くということの重みを、年を経るほど感じています」と、老舗ならではのプレッシャーとも向き合う日々だとか。それでもお二人がいるからこそ、創業何年に気後れせずに、気軽に門がくぐれそうです。

(2016年4月5日)

白瀧呉服店の外観
(写真提供:白瀧呉服店)


店内には季節に合った
着物が展示されています


「ねりまのねり歩き」の様子


浴衣でお手前披露!
「子供茶会」の一場面。
日本文化の発信地として
地域貢献していきたい、若女将
(写真提供:白瀧呉服店)


若旦那の父親の将棋好きから
「白瀧あゆみ杯」が始まった。
白瀧呉服店内にて
(写真提供:白瀧呉服店)


樹齢100年を超える
松や梅の木もある日本庭園


大正初期の店頭前にて


優しい笑顔の若女将は
二人のお子さんをもつ
母親でもあります


「お客様には心からの対応を
心掛けています」と、
誠実さあふれる若旦那